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教員インタビュー

2015年4月、JLCは新しく2名の専任教員を迎えました。お二人のインタビューを掲載いたします。
今月は、平野宏子先生です。

第18回 平野宏子先生

人をつなぐ言葉の力、コラボから始まるネットワーク

インタビュアー(=Q):本日はよろしくお願いします。最初に、お生まれと子ども時代のご自身について、お話しいただけますか?
平野専任講師(=A):生まれも育ちも北海道です。大学2年の時交換留学でカリフォルニアに行くまで、北海道を出たことがない、生粋の道産子でした。ただし、親は道職員だったので、親の転勤に合わせて村から町へ市へと北海道中3年に1回程のペースで移動しました。いつも転校生だったので、初対面で人見知りしない、どんな環境にも適応するという能力は身に付けたと思います。習い事も何か長く続けたものはありませんが、その土地、土地で盛んなことをやらせてもらいました。海の町では手旗信号を習ったり、雪の町ではスキー、雪が降らない地域ではスケートとか、百人一首大会(北海道の下の句かるた)、お茶、書道、空手、ピアノとか(冬に手が「かじかんで」なかなか上手くなりませんでしたが)。

Q:最初は英語の先生をなさっていたのですよね?英語の先生を目指されたきっかけはどのようなものでしたか?
A:高校の時の担任の先生が英語の先生だったことが大きかったかなと思います。発音が英語らしくていつも楽しそうに熱心に教えてくださったので。先生の一生懸命さって子供に伝わりますよね。それで楽しそうな世界だなと。大学は英文科でしたが、教職課程も取っていました。北星学園大学という北海道の大学で、当時の学長、土橋信男先生が教育原理という科目を教えてくださいましたが、授業では色んな揺さぶりがあってよく泣いた記憶があります。考えるとなかなかないですね、そんな授業。やっぱり大学時代に培ったものが自分の原点だと思います。

Q:また、英語の先生から日本語の先生へと変わるきっかけのようなものはあったのでしょうか?
A:高校の英語の先生になって、当時は留学帰りでしたから、生徒に伝えたい英語の楽しさがたくさんありました。私も学校で英語のイディオムなんかを必死に覚えましたが、留学してみて、一つ一つの言葉にもっと広がりがあることが分かったり、気持ちのよい会話ってどんなのだとか。でも文法に関しては、生徒は今教えたばかりなのに、どうして同じところばかり間違うのだろうとか、色々解決できないことがありました。そんなとき、外国人に教える日本語の本を読んで、目からウロコなことがたくさん書いてあったんです。英語は分析していたのに、自分の母語を外国語のように分析する機会は意外になかったので、すごく新鮮で。あ、日本語はこうだから生徒は間違うのか!とか。それに英語は母語ではないので、分からないことは分からない、あとは聞いたり(今なら)コーパスで調べるとかしかないのですが、母語だといくらでも内省が働くので、自分の経験を総動員しながらルールを考えたりするのが楽しくてしようがなかったです。それでもはや英語を教えている場合ではない、これからは日本語を発信するのだと(笑)

Q:そうだったんですね。英語を教える時と日本語を教える時で、大きな違いを感じることなどはありましたか?
A:基本的には語学教育なので変わりはないです。結局、学習者(いや、自分の?)の学びや成長、失敗や躓きに立ち会う人間教育ということですよね。でも日本語はわりとやりたい人がやってくれるので教えやすいです。学校教育では、子どもがやりたくない英語でもいかに惹きつけるか、分かった!という気にさせるかがもっと大事で、もう少ししんどかったです。若かったからでしょう。

Q:先生はこれまで中国でのご経験が長いですが、どういったところで教えていらっしゃったのですか?
A:こちらへ赴任するまでは、3年半中国の吉林省長春市にある吉林華橋外国語学院という ところで学部の日本語専攻の学生、1年はその近隣の東北師範大学留日予備学校というところで日本語専攻ではない人の日本語を教え、それから最後の1年また華橋に戻りました。本当にみなさん家族のようにしてくださったので5年半も同じ町にいられたと思います。

Q:日本と中国を行ったり来たりする生活が数年続いたということだと思いますが、行き来するたびに驚くようなことはありましたか?
A:中国の発展の速さには驚きますね。建設ラッシュで5年前とくらべて町の様子も様変わりしましたし、物価もどんどん上昇して昔は100元が1万円くらいの感覚で生活していましたが、帰国するときには100元が1000円くらいの感覚になりました。人々の着るものも食べるものも所有する自動車もどんどん高級になりましたね。あとは私がいた町の中国の方は大きなもの好き、大きな音好き、派手好き、スピーチは朗々と、という感じだったので、日本に帰ってきて、人がいるのかと思うくらい静か、スピーチが地味で自信に満ち満ちる感じがちょっと足りないなとか、思ってしまいましたね。言語も、行ったときはほとんど何も分からなかったので、国内移動も命がけという感じがありましたが、言葉が分かるようになったら空港に降り立ってももはや外国に来たとは思えなくなりました。この前、中国で知り合った学生さんに外大で突然会ったのですが、当時は全く日本語ができなかったので赤の他人でしたが、日本語がペラペラになったのを見ると、まるで他人の気がしませんでした。人をつなぐ言葉の力って本当にすごいなと思います。

Q:最後に、今後の抱負をお聞かせください。
A:大学院の修士課程、博士課程と、ずっと工学系の先生方や仲間とやりとりしながら研究してきました。異種混合ってすごくいいアイディアやものが生まれると思います。これからも外大の学生さん、文系理系の留学生、学内外の方たちとコラボして面白いネットワークが作れたらと思っています。

Q:今日はありがとうございました。

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