このページでは1ヶ月に1回、当センターの教員へのインタビューや、センターが研究・開発中のプロジェクトに関する情報提供を通じて、国内最大の留学生教育機関であるJLCTUFSの「いま」を伝えていきます。
14回は全学日本語プログラムご担当の藤村知子教授へのインタビューです。
無駄に思える経験でもこの仕事には役立つはず
インタビュアー(=Q):今日はお忙しいところ、ありがとうござます。初めにお生まれと、子ども時代のご自身、それから愛読書についてお話していただけますか。
藤村教授(=A):生まれは東京の世田谷です。父の仕事の関係で引越しが多く、幼稚園の年長で盛岡に越し、小3の途中から大阪、大阪でも3箇所引越しして、中2の途中から横浜に来ました。小学校では算数や理科はそれほど好きでもなく、やはり国語や社会が好きでした。あと体育だけは絶対にキライでした(笑)。愛読書は、家に世界文学全集があって、そこでコナン・ドイルを読んだのが今に続く推理小説好きの始まりでしょうか。
Q:それからずっと推理小説がお好きなんですね?
A:ええ。学生時代も横浜から大学(東京女子大学)までは2時間くらいかかるので、車内では松本清張をずっと読んでいました。
Q:英語との出会いは中学に入られてからですか。
A:そうです。家に父が使っていたリンガフォンのレコードがあって…
Q:レ、レコードですか? カセットではなくて?
A:そう、それも78回転のSP盤でした(笑)。それをカセットに録音しなおして、繰り返し聞いていました…。
Q:今に続く教育工学のご関心の芽生えでしょうか?
A:まあ、そうかもしれません。
Q:では日本語教育と出会ったのは、いつの頃ですか?
A:大学4年の秋でしたか、八王子のセミナーハウスで国際交流の催しのようなことがあったんですが、そこで外国人留学生に出会ったのが最初です。「あぁ、外国語じゃなくて、日本語を教える仕事があるんだ」、と。
Q:それがきっかけで大学院(筑波大学)に進まれたわけですか?
A:いえ、私は大学を出てから、総合商社に4年間勤めたんです。電機関係の部署だったのですが。
Q:総合商社というと、いわゆるOA化なんかも先端だったのでしょうか。
A:そうですね、でも入社したばかりのころは大きな和文タイプで、入社2年目くらいに英文のワープロが入ったのを覚えています。書類を保存して、作り直せる、計算もできるというのは驚きでした。それから大きな机の上に載っている従来型の和文タイプにモニターがついたような日本語ワープロが入って、どんどん小型化が進んで…という感じでした。
Q:すみません、脱線して。その後、院に進まれたわけですね。
A:そうです。筑波大学に日本語教育の学部専攻が出来ると聞いたので入学して、2年生までやってから院に進みました。寺村秀夫先生や野田尚史先生などに習いました。寺村先生は私の入学後間もなく、大阪大学に移られたのですが。当時は、佐久間まゆみ先生の下で要約文の勉強をしていました。
Q:ご卒業後に、日本語教育のキャリアが始まったわけですね。
A:そうです。米加(アメリカ・カナダ大学連合日本研究センター)に少しいて、それから文教大学の別科のようなところで教えました。でも筑波では、実習が1週間しかなかったので、文教で教えながら、おなじ埼玉県に出来たばかりの国際交流基金・日本語国際センターの実習コースにも週3日通っていました。
Q:それから本学にいらしたわけですね。今までご担当になったコースには、どんなものがあるのですか?
A:最初は、このセンターの前身のひとつである留学生教材開発センターに赴任しました。そこでは日本地理の教材を開発したりして、それから1年コースに移り、17年教えました。それからREXを担当し、1年コースに移り、今は全学日本語プログラムです。あと2001年と2011年には長春にも派遣されました。
Q:なるほど。藤村先生というとセンターのAVC (Audio, Visual & Computer)関係のお仕事を一手に引き受けられたり、またJPLANGなどにも通暁していらっしゃいますが、このあたりのきっかけを教えていただけますか。
A:2003年に2か月だけ、アメリカのミネソタ大学に派遣される機会があったのですが、そこから戻ってすぐに、e-Learning のようなプロジェクトがあるけどやってみないか、と言われて、コンピュータ上で日本語が学べるのも面白いな、と思って始めたのが最初です。まあ、新しもの好きというところもありますし。
Q:そちらに関わる分野の著作に『直接法で学ぶ日本語』(東京外国語大学出版会)もありますが、あの本の経緯も教えていただけますか。
A:かなり以前から、これからいろいろな先生がお辞めになるから、そういう先生方の教え方をまとめておきたい、っていう気持ちはあったんですが、特にREXから1年コースに戻ったとき、ちょうど絵カードからPowerPointのスライドに切り替わる時期で、絵教材の形が変わっていって、それと教え方を結びつけようと思いました。関わった先生方が多いので、それぞれに勝手が違いましたが、どうにか形にすることが出来ました。
Q:ありがとうございます。では現在はどのような研究をなさっていらっしゃるのですか?
A:今は、講義を録画して、日本人の学生、留学生がどのように理解しているか分析しています。それを確かめる方法として、要約文を書いてもらっています。
Q:そうですか。では最後に、これから日本語教育を志す読者に、メッセージをお願いいたします。
A:そうですね。あの、ことばを教えるにあたっては、いろいろな経験をしておくのが大切だと思います。私、大学院の時に国語の家庭教師をしたことがあったんですが、そこで教えた男の子が自然描写の続くところに全然、反応しないんですね。それで、この子は勉強に役立たないようなことはしてこなかったんだろう、たとえば土に触れたこともないし、木に登ったこともないんだろうな、と思ったことがあります。ですから、こんなこと役に立たないだろうな、と思うようなことでもどんどんするといいと思います。私も、商社にいた経験は、日本の社会というのを知る上で、今思うととても良かったと思っています。
Q:ありがとうございました。
インタビューを終えて─
インタビュー中、藤村先生はいつも通りの穏やかな語り口で、ご自身について語ってくださった。どのエピソードも魅力的だったが、とりわけ魅かれたのは日本語教育以外のこと、たとえば商社時代のお話、それから最後のメッセージに出てきた家庭教師のお話だった。お得意の分野のことは「新しもの好きだから」とおっしゃっていらしたが、その活き活きとした好奇心のおかげで、センターのAVC環境は常に先端を行っている。藤村先生なくしては私たちが誇るJPLANGさえも機能しない、この厳然とした事実を再認識させられるインタビューだった。