このページでは1ヶ月に1回、当センターの教員へのインタビューや、センターが研究・開発中のプロジェクトに関する情報提供を通じて、国内最大の留学生教育機関であるJLCTUFSの「いま」を伝えていきます。
第13回は、全学日本語プログラムご担当の花薗悟准教授へのインタビューです。
教えることはそれと同時に学ぶこと
インタビュアー(=Q):今日はお忙しいところをありがとうございます。ご出身はどちらですか?
花薗准教授(=A):本居宣長と牛肉で有名な(笑)三重県松阪市です。母語は三重県松阪市方言ということになりましょうか?11歳で東京に来るまでそこで育ちましたから、関西アクセントと東京アクセントが両方できるはずです。
Q:どんな少年時代をすごされたのでしょうか?
A:地方で育ちましたから、空き地で野球をしたり、山へ行ってかぶと虫をとったり、海まで自転車を飛ばして釣りをしたり、文字通り野山を駆け回って遊んでいました。当時の地方都市には学習塾などほとんどなく、思えばのどかな時代でしたね。そういえば、小学校4年くらいの時にクラスでSFが流行って図書館にあったSF小説を競争して読んだりとかもしました。ランドセル背負ったまま本読みながら家に帰ったりとか。二宮金次郎じゃないんですけど(笑)。その頃から結構本好きになって、いろいろ濫読しました。中学の頃、友達とコピーでSFの同人誌を作ってショートショートみたいなものを書いたりとか高校の頃は現代文学に熱中して、図書館で埴谷雄高の『死霊』を読んだりしていました。あまりよくわかりませんでしたが(笑)。
話が前後しますが、小学校でローマ字を習った時、日本古来の五十音図が子音と母音の整然とした体系的な組み合わせで出来ていることに気付いて、先生に「どうしてですか?」と聞いたんですが、先生もわからなかった。大学に入ってから、『五十音図の歴史』という本を見つけ長年の疑問が解けました。それは、小学校の先生にとっては難しい質問でしたよね。考えたら小学校の先生にとっては難しい質問だったかもですね。実はけっこういやな生徒だったのかもしれない(笑)。
Q:なるほど。その頃から言葉に対する興味みたいなものがあったのですね。ご出身は本学だと伺いましたが。
A:受験生だった1985年ですが、東京外大に日本語学科というのができたというのを何で知ったのかな? しばらく前に留学生10万人計画ができて、外大とか筑波大とかに続々と日本語学科とか日本語教育専攻とかが出来ていた時期なのですが、外語大で日本人が日本語を勉強するのもおもしろそうだと思って試験を受けたような気がします。結局2期生として外大の日本語学科(2011年現在、日本課程)に入学しました。1期生には本学大学院の海野多枝先生がいらっしゃいました。
Q:それで外語で日本語教育を専攻されたと…。
A:それが学部・修士課程(博士前期課程)の時代には日本語教育関係の授業はほとんど取らずにもっぱら日本語学というか、現代語の文法の勉強をしていました。“叙法性(のべかた)”とか“モダリティ”とかいわれている分野で、卒論では命令文、修士論文では願望文について調べて書きました。修士課程の終り頃まで、文庫本を読みながら用例を見つけて、印をつけてはそれをカッターで切っては紙のカードに貼りつけてデータベースを作るというようなことをやっていました。カードを作るだけで3か月かかったりしてしまうという…。今PCを使えば数秒以内でできたりすることなのですが。小説や新聞のデータが手に入るようになった95年くらいからコンピュータに移行しましたが、今思えば昔はアナクロ(あるいは“アナログ”)なことをやっていたものだと思います。当時、「実証主義」で文法研究をしようと思ったらそんな方法しかなかったという。ただ、今はコーパスも整備され用例の検索は楽になっているのですが、丁寧に文脈を追ってカード取りをしていた頃に比べて分析の精度は下がっているのではないかという思いはあります。
Q:なるほど、20年くらい前まではそういう時代だったのですね。その後、博士(後期)課程は大阪に行かれたとお伺いしましたが。
A:ええ、なんだかんだで結局ここ(東京外国語大学)には学部・博士前期課程と合計10年くらいいましたので。博士前期課程が終わるころ、大阪外国語大学(現大阪大学外国語学部)の大学院に博士後期課程が新設されると聞いて、このへんで気分一新というのもいいかなということで東外大の博士後期課程には1か月だけ在籍したのち、中退して大阪の方にいきました。東京にいたときには日本語教育関係の先生方とはあまり縁がなかったのですが、大阪外大ではなぜか日本語教育の先生がとてもよくしてくださって、単位とは関係ない学部の日本語教育関係の授業をたくさんとったり、地域の日本語ボランティアに参加してみたり…。日本語教育との「本格的」な接点はそのあたりからということになるでしょうか。博士課程を終えてから一年間非常勤で教えたのも留学生対象の日本語教育でした。
Q:その後、センターにいらっしゃったと…。
A:はい。教育実習をやったことはありましたが、系統だって初級から上級まで教えるのはほとんど初めてだったので、赴任した初めの頃はもう必死でした。徹夜で教案を作らないと間に合わないという感じで。同時にそれまではいっぱしの文法の専門家だったつもりだったのですが実はかなり視野狭窄だったことがわかりました。初級を教えることによってはじめて体系的に日本語の文法の基礎を見わたせた気がします。『日本語のシンタクスと意味』という本で有名な寺村秀夫(故人)という先生が「日本語文法を学ぶ一番いい方法は外国人に日本語を教えてみること」と書いているのですが、そのことを本当に実感させられた気がします。今でも、授業をしながら学生に教わる・気づかされることも多く、教えることとは同時に学ぶことなんだということを日々意識させられています。また中級を教えてみると、さまざまな文法事項、たとえば「に対して」などの後置詞(「複合助詞」)の記述が日本語教育に役に立つような明確な形ではほとんどなされていないことがわかり自分でもいくつかの後置詞について調べてみるようになりましたし、後置詞についてはセンターの他の教員といっしょに一書をまとめることもできました。ほかにも数学の先生と数学で使われる日本語の特殊な意味・用法についても共同で調査しています。というように、このセンターに来ていろいろな意味で、視野が広がったと思います。怠け者なのでなかなか成果がまとまらないのですが、これからも日々精進していきたいと思っています。
Q:ありがとうございました。